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Ana Correa の大野慶人訪問記

2017年11月22日にアナ・コレーアさんは横浜の大野一雄舞踏研究所を訪問し、舞踏家の大野慶人さんと、舞踏や演劇の力、身体表現を通して世界へ訴える思いや願いについて意見を交わしました。

懇談の席には、大野慶人さんのご息女である大野圭子さん、ダンサーの權田菜美さん、通訳として吉川恵美子も参加しました。(文中の註1~7は權田菜美さんが作成しました。)

舞踏を教える上で大事なことは「人間は変わらないんだ」ということです。(大野)

(註1)

「空間と出会う」とは、ダンサーが場を意識し、その空間に身を置くこと。稽古場、劇場の舞台、街角や駅、川辺や山中など、どこでも構わない。
少し視点を変えて説明しようと思う。日常を送っているときには空間は意識されない。例えば、劇場でスタッフの方が作
業のために舞台にいたとしても、空間は立ち現れない。同じ劇場の舞台でも、ダンサーなり役者なりが、意識してその舞台に身を置いて初めて空間と出会うことができる。観る側としては、空間が立ち現れる。

 

​(註2)

大野先生が「こうする」とおっしゃり、上の空間を広げられるとき、先生は右手を目線より高い位置に掲げ、胸を開き、左から右へと虹を描くように緩やかな弧を描かれたと記憶している。手の指は握られておらず、芯がありつつもやさしく、はっきりと伸ばされていた。左手は添えるように、または武道の構えのように軽く胸から腹の前あたりにあったかと思う。手の動作に注目が行くが、それだけではなかった。足はしっかりと地を踏みしめられ、顔、胸、胴体なども上へ向かって持ち上げられていた。ここで注意しておきたいのは、決まった動作があるのではなく、必ずしも上記の動作でなくてもよいということだ。どこまで、またはどのような上の空間を広げるかでも表出としての動作は変わる。

Ana:ワークショップの期間と一日あたりの時間は?

大野:私は毎週火曜日に2時間と日曜日に2時間半教えています。舞踏を教える上でひとつ大事なことは「人間は変わらないんだ」ということです。これは三島由紀夫から聞いて僕はびっくりして「変わらないんですか!?」と聞き返した。「変わるのは文明だよ」と言ったのです。土方巽が言っていたのは「本質と存在の奇跡的結合が舞踏だよ」ということです。

Ana:私も同じように感じます。

大野:ワークショップの授業でよくやるのは、人間の本質である「肉体と出会う」「空間と出会う」ということです。これらは大切なテーマです。

Ana:(大野先生の)レッスンの参加者はあらかじめテーマを持ってくるのですか?それとも先生の教えを受けてテーマを見つけるのでしょうか?

大野:どちらもいらっしゃいますが、ここでテーマを見つけることが大切なことでしょうね。空間というものは創るもので、創って初めて現れるものです。

Ana:空間とは前もってそこにあるものではないということですか?

大野:空間と出会うこと(註1)からまず始まります。それから壁を乗り越えて、遠い大きな空間と出会う。シリアとかトルコとか、ニュースを見れば世界中の空間が出てくるわけですね。昔はそんなことなかったんだ。九州から北海道まで考えていればよかった。それが、いつの間にか広がってしまった。足元にはブラジルやメキシコがある、そういう大きな空間と出会う。むかしはフルムーンというと空を見上げた。今は宇宙ステーションから、もっと大きな空間から見ることになっている。同じように今は観客自体の空間が広がってる。

吉川:空間を創るとは?

大野:空間はダンサーがこうすると(註)上が現れてきます。身体をこうすると全部の空間が現れてくる。空間はそこにあるものではなく、創るものなのです。

 

演劇は人々の心の傷を癒やし、浄化する可能性があると思っています。(アナ)

Ana:世界における舞踏についてどうお考えですか?舞踏は非常に人間的なものを追求しますが、その一方で今、世界は非人間的な様相がはっきりと現れてきています。今の日本と先生の舞踏はどのような対話をするのですか?

大野:そういう意味では難しくなりました。昨日も稽古の中で「命・生きること」がとても大切な世の中になってしまったと話しました。それを言わなければ舞踏はない。絶え間なく人が殺し合いをしている国がある、戦争が絶えないというニュースが入ってくる、そういう中にあって舞踏はどうあるべきかということだ。

Ana:ペルーには激しい暴力、貧困、政治暴力、性暴力、児童への性虐待が存在します。私は、演劇は人々の心の傷を癒やし、浄化する可能性があると思っています。

大野:そうだね、本当はそうじゃないといけないんだ。

Ana:舞踏とは、身体と呼吸の芸術であると認識しています。声の芸術ではないとの認識です。

 

大野:はい、そうですね。

Ana:音楽の重要性はどうお考えですか?必要なものですか?舞踏のための音楽を作るのですか?

 

大野音楽家と組んで昔はよくやりましたけども、そういう音楽家が少なくなってしまったので今は自分の選んだ曲でやっていますね。昨日は「アヴェ・マリア」という曲でやりました。マリア様は最初子どもを産んで、みんなからおめでとうと言われてとても幸せだった。だけども、その子は罪人として十字架にかけられてしまった。それで嘆きのマリアになった。「アヴェ・マリア」には祝福と受難がある。だからあなたの人生も生きる中に良いこともあれば悪いこともある。生きることはその繰り返しでしょう。良いことだけある人はいないんですよ。そういうことで受難と祝福を踊るのだ。昨日もそれを踊ってもらいました。

Ana:生徒さんはここまで通うのですか?

 

大野:そうなんです。昨日は20人来ました。外国の方も来ますよ。


圭子:メキシコ、アルゼンチンからもたくさんきます。

Ana:クラスは1回のみですか?それとも一定期間滞在してクラスに参加するのですか?

 

大野:極端な話をすると、1回。こちらも1回1回新しい気持ちでやっています。10年以上来ている人もいますし、ある人には「舞踏じゃ食べられないからいつでも休める庭師になりなさい」と紹介して、一級の庭師になりましたよ。


圭子:その人は一番長くて26年間いらしています。

Ana:先生のクラスに参加する生徒さんたちは、先生の教えを請うだけで舞踏をどこかで演じなくても良いということでしょうか?自分の人生の哲学のためだけに来る人もいますか?

大野:そういうことのために来る人が多いですね。稀によそで公演する人も出てきます。生活そのものが大切ですから。生きるって難しいから。

Ana:とても美しい話ですね。

身体というのはすべてをもっているんだ。

身体はどんどん強くなっていく、強く、強く、強く…(大野)

(註3)

バラの花を持って歩く稽古について。
稽古場には、30〜50センチほどの枝の先に花が一輪ついた色とりどりのバラの造花が用意されていた。それを自分で選び取って使う。動作としては、そのバラの花を地面に対し垂直に持って歩く、という一見シンプルなもの。そのなかでバラの花の生き方(在り方)を表す、もしくは現す。
大野先生がバラの花に見出しているもの(空間、哲学)を学べる稽古のひとつ。大野先生は稽古の中で、花そのものだけでなく、その花がいかに闇と光の中に同時にあるか、そこから派生して闇とは、光とはということなどに言及された。また稽古者自身が、バラをどのように感じ取っているのか、どのように認知しているのかということもそのまま表れるので、自分が投影されることにもなる。バラの花には多くの要素がある。例えば、見えていない根(稽古で使う造花には根の部分はありません。切り花の様相)、自然なうねりを含んだ真っ直ぐな幹、その先に咲き誇る花など、それらをいっぺんに身体と歩く動作に盛り込む。バラの花が見えていれば見えているほど、身体の縦のラインに変化が起こる

 

​(註4)

「ここ」とは、脚、背中、首などを含む身体の縦の線。バラが太陽に向かって伸びていくことを意識し、イメージすると、胸や腰が反ったり丸まったりすることなく、肩や顎が上がったりすることもない。また地中に伸びた根を意識すれば、足で地面を踏みしめることができ、足の裏にも空間が広がる。

(註5

綿の稽古のやり方。 

真綿を一塊、両手でつかみも持って、それを力いっぱいに腕や胸を広げる動作で、引き延ばしていく。基本的には立位で行う。柔らかい綿であるのに、非常に大きな全身の力を限界まで出力することになる。ここが大野先生の言われる「身体はどんどん強くなっていく、強く、強く、強く…」の部分に当たる。

 

そして限界まで綿が引き延ばされるとその瞬時、文字通り突然に、綿にかかっていたテンションが途切れ、綿が柔らかく引きちぎれる。この瞬間が「これをこうすると柔らかくなる」を指す。この瞬間の間もその後も、身体は引き延ばす動作を続けようとするが、もう第一段階のような「強さ」は身体からも綿からも現れない。「柔らかく、柔らかく、柔らかく…」引き延ばされていく綿とともに、体も繊細で細やかで、優しささえ溢れるような動き、エネルギー、力のかけ方へと転換する(もしくは綿にさせられるのかもしれない)。手・掌のなかの綿に包まれるような、またはその綿を包むようなものへと力、エネルギー、動きの質は大いに変化する。この後半の動きや力が極地まで達すると「私は赤ん坊になる」のであろうと思う。赤ん坊は、そのものでもあるが柔らかいものの象徴として使われていると考えられる。赤ん坊になった慶人先生は、身体の芯は残りつつも、強く張られていた身体はもはやなく、胎児のように柔らかく全身が丸められ、「ママ…」と呼びかける。 

 

稽古する者の体感としては綿の稽古は大きく分けて三段階(強く、ちぎれる瞬間、柔らかく)に分かれているが、途切れることのない一連のものである。 

真綿は布団屋さんから購入していた布団用の真綿(絹)を使用していた。店で手に入る一般的な素材。また綿は幾度か使用するとその強度が失われるので、簡単に引きちぎれるようになったものは使用できない。

Ana:ユヤチカニのメンバー(全員60代)がもし先生のクラスを受けるとしたらどのような身体が必要ですか?

 

大野:僕はね、老いていく身体も美しいと思っているのですよ。

Ana:私たちも同じように考えています。ここに来るときは各メンバーがこれまでに蓄積してきたものを持って来ればいいのですか?

 

大野:ええ、そうです。

 

Ana:同じクラスの中で20代、30代、60代の人たちが一緒に参加することが可能なのですね?

 

大野:そうです。

 

Ana:みんな同じ動作をするわけではなく、それぞれの経験をもとにそれぞれの動きをすれば良いということですか?

 

大野:例えば歩き方、これはからだを創るということ。バラの花を持って歩く(註3)、花は太陽に向かって伸びていく。根は光の届かない闇に向かっていく。だから縦のラインができるんだ。僕は79歳だけれども、このラインはわりかししっかりしてるでしょ?これが丸まったらうまく踊れない。

 

Ana:もし曲がっていたら、このような表現は創れないということですか?

 

大野:こういう風に、意識すればまっすぐになってくるでしょ?バラは太陽に向かって伸びていく。それを意識すればここが伸びてくるでしょう(註4)。そうやって日常生活でもちゃんと練習できる。

 

吉川:イメージが身体を持ち上げていくんですね。

 

大野:そうですね。

 

權田:綿(わた)も使うのですか?

 

大野:真綿を使ってからだの訓練をする。からだというのはすべてをもっているんだ。からだはどんどん強くなっていく、強く、強く、強く…これをこうすると柔らかくなる(註5)、柔らかく、柔らかく、柔らかく…私は赤ん坊になる。からだはすべてをもっている。

私の舞踏は、戦争のない、誰もが幸せな世の中になって欲しいという命です。(大野)

權田:先生は身体の中で先祖や自分の昔・自分が産まれる前の時間とつながっていると思いますか?

大野:そうですね、僕はね、いつも仏壇に手を合わせる。大野一雄と母親は完全なクリスチャン。祖父母は仏教徒。だから僕の中にはブッダもいるし、キリストもいるし、みんな入っているというんです。だからそういった意味で手を合わせる。

 

權田:手を合わせるのも一緒ですものね。

 

大野:ここの稽古場にはインドの人もきます。ヒンドゥ教だなぁ、と。イラクからイスラムの人も来た。いろいろな宗教の人が来る。それを全部越えて祈るということは全部共通している。私の舞踏は「戦争のない、誰もが幸せな世の中になって欲しいという祈りです」と言っている。祈ることはすべての宗教に通じる。

 

吉川:祈る、ということで舞踏は儀式と言うことができるのでしょうか?

 

大野:ある意味では儀式的な面もあるでしょうね。つまり色々な日常的な無駄なことを絞り込んでくるから。

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Photo : Emiko Yoshikawa

舞踏ではスキップではなくて踏む。踏むってことが大事だ。(大野)

吉川:ペルーにはいらしたことはないのですよね?

大野:1回もないんです。

圭子:私は仕事で24年前にペルーに行ったことがあります。その時に街中で舞踏のポスターが貼ってあるのを見て、まさかこんな文化が深いところに舞踏が来ている訳はないと思ったんです。

Ana:舞踏とラテンアメリカの現実―貧困・飢餓・暴力―は「感情に生きる」というところが共通し、呼応していると思います。大野一雄先生から舞踏が始まり、構築されていったのですか?

 

大野:最初は僕に、土方巽の作品に出てくれないかと。「禁色」という作品でテーマがホモ・セクシュアルの世界だったんです。僕はその当時なんのことだかさっぱり分からなかった。少し怪しいので、土方さんに「なんですか、これは?」と聞くと「男の真の友情だよ」と言うんです。じゃあ一生懸命やりましょうと言って一生懸命やったのです。それをモダンダンスとして5月の新人公演に出したんです。あんな、男と男の怪しげな作品はとても子どもには見せられないと観客から苦情が出たんです。大野一雄が土方さんの作品に出演したとき、女性のドレスを着てね、「私が花だ」って言うんですよ。それまでの7年間僕がモダンダンスを習っていたときには「花は美しい、その美しさを踊りましょう」と言われたのです。なのでその美しさはどうなったのですかと聞いたのです。そうしたら「表現というものはいくらやっても限りがある。だから私そのものが花になる」と言ったんですよ。土方巽と大野一雄と私と3人で秋の作品(*)をやったときには、モダンダンスの人たちから「あの人とはもう一緒にやりたくないわ」と言われ、苦情がきた。大野一雄と土方巽はモダンダンスの現代舞踊協会の会員だったけれども二人で脱退してきたんです。それで「もう舞踊って言えなくなったなぁ、なんか名前をつけなきゃいけないんじゃないか」と、それで「舞踏」となったんです。

 

吉川:それは何年ごろなのでしょうか?

 

大野:1960年代の初め頃ですね。舞踊と舞踏の「舞」は同じですね。舞踊の「踊」は跳ねるような、スキップをするような感じ。舞踏になるとスキップではなくて踏む。踏むってことが大事だ。

 

權田:私は元々現代舞踊協会系からダンスに入り、テーマを単なるテーマとしか扱ってなく、例えば命とか自分とか大事なものを扱ってないような気がして段々離れていきました。私はビオレタ(**)さんのところにも習いに行ったのですが、今先生のお話も伺って、自分が現代舞踊から離れていくのを実感しています。大野先生は文句を言われて追放されてしまったようなところはありますが、本当に心の中のものを出していこうとするときに現代舞踊系のモダンダンスの限界を感じます。美しくなければならないとか、人を不快にしてはならないとかの認識が先にあったうえで踊りが成り立っているような気がしていまして、そうではないと。時に人間は醜いし、命というのはドロドロした部分もあるし、それをそのままやれないという苦しさがあり今は独りで踊っているのですけれども・・・お話を聞いて「あ、そっか」と思いました(笑)現代舞踊の人たちはそういうつもりはないかもしれないのですが、テーマをテーマとして取り扱うことの軽さに対して「失礼じゃないか」と感じることがあります。例えば戦争を取り扱っていてもまだ安全な日本から戦争を取り扱うのは単なるテーマに過ぎず、耐えがたいものがあります。

 

圭子:よくお稽古で「舞踊はテーマを外に求めるけれど、舞踏はテーマを中に求めるものだ」といつも言ってるので、納得しました。

     *同年の9月に発表した「禁色」の改訂版のこと。大野一雄や他のダンサーも出演した。

 **ビオレタ・ルナ:メキシコ出身サンフランシスコ在住のアーティスト、アクティビスト。2014年から度々来日し、公演・講演会  

  を行なっています。詳しくはこちら

少なくとも私が生きている社会では女性は価値のないものとされています。

だから女性たちは社会のなかで男性と同じように価値ある存在になることを求めています。(アナ)

男の中の両性具有。両方もっているのです。

だから日本では伝統的に歌舞伎や、両性を兼ねる能があるのです。(大野)

Ana:白い化粧はいつから用いるようになったのですか?

 

大野:最初は茶色く塗っていました。いくら鍛えても外国人には敵わない、というのが理由でした。なので最初のころは「あれは外国人に対するコンプレックス・ダンスだ」と言う人たちもいました。土方巽と大野一雄と私と「禁色」を作ってからの7年間は絵画・詩人などいろいろなジャンルの人たちを巻き込んでやりつくしましたが、土方が秋田に帰郷したんです。それから戻ってきたら衰弱しているんですよ。「土方さん、どうしたんですか」と聞いたら「はぁ、秋田は寒くてねぇ、貧しくて食えないんだよ」って言うんだよね。「ああ、そうですか。もう筋肉はいらないんだ。」と、それで白く塗っちゃったんです。それで土方さんは白桃房という舞踊団を創ってダンスを知らない生徒を集めて振り付けをする活動を始めました。土方さんの振り付けは完璧でした。白桃房はかなり有名になってきたんですよ。

 

Ana:白いというのは弱々しさを表現したのですか?

 

大野:筋肉を消すこと、貧しさ、食えないこと、衰弱体ですね。土方さんの塗り方はそうだった。大野一雄は「私は死者である」と白く塗った。日本では昔死者を白く塗ったんですよ。だから大野一雄の踊りは死者の踊りですね。

 

Ana:死者の踊りであるなら、社会が否定的にみているものを表現することを恐れないということですか?

 

大野:ええ、恐れないですね。一雄はクリスチャンでしたし。クリスチャンの女学校で先生をやっていて女装をして白く塗っているんですからねぇ。

 

Ana:スキャンダラスですね。(笑)

 

大野:よく学校から何も言われなかったですね。(笑)

 

Ana:衰弱した肉体である、死者である、という社会で否定されるものを白塗りにする。そしてそれは多くの場合、女性だという設定になっています。一雄先生の場合も女装して女性として踊るわけですが、そういう社会の否定的な存在を女性に結びつけているのですか?少なくとも私が生きている社会では女性は価値のないものとされています。だから女性たちは社会のなかで男性と同じように価値ある存在になることを求めています。

 

大野:そういうことではないです。男の中の両性具有。両方もっているのです。だから日本では伝統的に歌舞伎や、両性を兼ねる能があったのです。僕も能を勉強しました。三島由紀夫が僕に、能をならえと言って紹介してくれたのです。

 

Ana:女性のか弱さを表現しているという意味ではなく、男の中の女性を表しているということですね。

 

大野:そうです。いい意味で女性性は繊細さ、男性性は猛々しさを表している。日本人は障子を見て生活しているので紙に神がいると考えているのです。これが日本の繊細さを表すのです。死ぬか生きるかの体験をした人に、どうだったと聞いたら「紙一重だった」と言う。紙一枚の隙間というのは生と死の間ということで、これを持って踊るとね、とてもデリカシーになるのです。歌舞伎では男が女を演じる。結婚する前の若い生娘を演じるときは紙一重で歩くそうです(註6)。結婚して子どもを産んだあとは本1冊が入るくらいで歩く。「三十路の女が歩いていくよ」と、歩き方を見れば分かるんだ。40歳になると辞書1冊、おばあさんになると・・・(笑)

 

Ana:今まで先生が手にしたのは薔薇であったり絹であったり紙であったり、非常に繊細なものを用いていらっしゃる。日常生活に埋没しているときはそういうものの繊細さが見えないです。先生がこの舞踏のラボラトリーを運営されるときは、違った視点でとらえているということですね。

 

大野:そうです。

Ana:先生が日常生活からレッスンに向かわれるときに、何か工夫や方法はありますか?

 

大野:移動している間に日常のことは捨てて、聖なる時間というのですか、聖なる自分になろうと。みんなにとっても(スタジオまでの)坂を上ってくる(註7)ということはそういう気持ちだろうと。そういう気持ち、時間を与えてあげようと、一緒に過ごそうという気持ちです。

(註6)

ここでの歌舞伎の女役における「紙一重」とは、脚と脚の間(股の間、太ももの間)の距離・幅のことを指す。歌舞伎では年齢が若い役のほうが両脚間の幅も小さくなる。女形の役者たちは太ももの間に紙を挟んでひざを離さないように歩く練習するとも聞いたことがある。

 

​(註7)

大野一雄舞踏研究所は、麓から10分15分ほど登った先の小高い丘の上にある。

大野 慶人 (おおの よしと) 

1938年東京に生まれる。1959年土方巽の「禁色」で少年役を演じ、60年代の暗黒舞踏派公演に参画。69年初のソロリサイタル後に舞台活動を中断、85年「死海」で父・大野一雄と共演、カムバックした。86年以降大野一雄の全作品を演出。ヴッパタール舞踊団ダンサーとの「たしかな朝」、音楽家アントニーとの「Antony & the Ohnos」、アノーニとの「たしかな心と眼」など、コラボレーションも多い。ソロ作品「花と鳥」(2013初演)はヨーロッパ、ブラジル、中国を巡演。また、国内外で精力的にワークショップを行い、舞踏のエッセンスを伝えることに力を注いだ。

著書に『大野一雄 魂の糧』(フィルムアート社)、『舞踏という生き方』『大野慶人の肖像』(かんた)。2020年1月永眠。

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Ana Correa

Ana Correa (アナ・コレーア) 

ペルー共和国・リマ市生まれ。俳優、パフォーマンス・アーティスト、演出家、教皇庁立ペルー・カトリック大学教員。 1978 年よりユヤチカニの活動に参加。国内外で女性による演劇に焦点をあてたワークショップを積極的に開催し、従来 の型に囚われない演劇の形を提唱している。その他ペルー国内の少数民族の各言語による子ども向けの演劇プロジェクト や、病院でのボランティア演劇プロジェクトを展開中。2012 年ペルー文化省より文化功労賞を授与された。(Photo credit: Gloria Pardo)

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プログラム

​公演冊子から

Photo: Hideki Matsuka

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