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パトリシア・アリサと日本

  • 吉川 恵美子
  • 2022年7月29日
  • 読了時間: 5分

更新日:2022年9月20日

 演劇人のパトリシア・アリサがコロンビアの新ペトロ政権の文化大臣に選出されたことをこのホームページの7月5日の「演劇関連ニュース」で紹介した。アリサは2008年に来日したが、この頃から日本の演劇人たちと交流が始まった。日本ではなかなかラ米演劇に目が向けられないが、アリサと日本の演劇人たちとの交流は静かに続いてきた。「女性による表現」「アートによる社会変革」が交流のキーワードだった。


 このホームページの訪問者たちが最初に目にするのは「HOME」画面の踊る女たちの写真だろう。ピンク色の衣装を身にまとった大勢の女たちが歌いながら踊っている。さらにページを繰れば、黄色の衣装を着て、白黒写真を胸に掲げて後進する女性たちの写真が目に入るはずだ。いずれも、2010年にボゴタ市で開催された「平和を求める女性演劇祭」(​​Festival de Mujeres en Escena por la Paz)に参加した折に私が撮影したものである。この演劇祭のプロデューサーが実は、アリサなのである。


 ピンク色の衣装の女たちはラ米各地から集まったプロのアーティストたちである。彼女たちはボゴタ市のスラム街で暮らす女たちに踊りや歌で自分を表現することを教えた。地区の屋外運動場に集まって指導を受ける女たちの真剣な表情が今でも目に焼き付いている。歌や踊りが、自分たちの思いや苦悩を社会に向けて発信するツールになると知った彼女たちは黄色の衣装を着て、ピンクの衣装の女たちとともに「平和を求める女性演劇祭」の集会イベントに参加した。彼女たちが大事に胸に抱いていたのは家に帰ってこない家族の写真である。コロンビアでは1980年頃から、非合法武装組織のゲリラ活動が活発になり、これに麻薬組織の抗争も加わった。特に農村部の生活が破壊され、一家の働き手である男たちはゲリラに連れ去られ、抗う者は殺された。残された女たちは、何が起きているのか理解できなかった。無論、抗議の声を上げることもできない。どうにか生き延びるために国内避難民となって都会に流れていった。こうした女たちを対象に、アリサをはじめとするアーティストたちが仕掛けたエンパワーメント演劇の一例がここにある。社会行動を起こしたことで黄色い衣裳の女たちは社会の中の自分の立ち位置がみえたかもしれない。異なる社会位相に理解者がいることを発見したかもしれない。アルゼンチンからは同じ思いを体験した「5月広場の祖母たち」が駆けつけ、連帯の声をあげていた。


 「平和を求める女性演劇祭」はパトリシア・アリサが代表を努めるコロンビア演劇協会(Corporación Colombiana de Teatro)が運営している。協会は1969年に設立され、コロンビア国内の複数の演劇フェスティバルを統括する役割を果たしてきた。1992年から協会は毎年開催の「平和を求める女性演劇祭」だけでなく、隔年で「オータナティブ演劇祭」(Festival de Teatro Alternativo)も開いている。演劇祭では上で紹介したような集会イベントも開かれるが、おおよそ一週間の会期中にはコロンビア国内外から多くの劇団、パフォーマー、演劇研究者が集い、連日、複数の劇場で舞台公演が行われるほか、講演会や討論会が開かれる。アリサはこれらの演劇祭にたびたび日本からの参加者を迎え入れている。


 2010年4月には日本舞踊の春日鶴壽を中心とした「AKUプロジェクト」が『か・え・る KA-E-RU〜 宮沢賢治作「虔十公園林」へのオマージュ〜』という作品で「オータナティブ演劇祭」に参加した。


 私自身は2010年8月の「平和を求める女性演劇祭」に参加した。「日本の女性演劇人について話をして欲しい」というのが私に出された課題だった。この分野に関して私は門外漢なのでどうしたものかと迷ったが、話を準備できるかの心配より、この演劇祭を観てみたいという思いが勝った。にわか勉強だったが、アメノウズメノミコト、出雲阿国、貞奴などの日本演劇史上の女性スターたちのトピックに始まり、水俣をテーマにした石牟礼道子の新作能『不知火』、独自の身体表現を追求する劇団「態変」の金満理、天皇制と家制度を問う岸田理生の『糸地獄』にいたる日本の(あるいは日本に拠点を置く)女性演劇の系譜をまとめて出かけた。私の発表自体は、持参したパソコンと現地のプロジェクターの相性があわず、準備した映像が全滅だったので中途半端な報告しかできなかったが、この演劇祭で私が得たものはとても大きかった。毎日、昼、夕方、夜に舞台を観て、多くの演劇人と知り合った。私のホームページの「アートイベント記録」には主に上智大学で実施したアーティスト招聘公演の記録を載せているが、最初に招聘したのがこのときボゴタで知り合ったビオレタ・ルナだった。


 ボゴタで上演されたアリサの舞台をヒントに日本で作品を創った団体もある。2020年1月に結成された芸術団体DAYAは、アリサの原作Paz Haré La(ファッションショーのランウェイpasarelaを同音異義語paz haré la 「私は平和を作る」に置き換えたタイトル)の構図を借りて​​『パサレラ〜小夜鳴き鳥の声がする』を創った。性暴力被害の当事者が事象を報告し、問題提起をおこなうパフォーマンス作品である。参考:https://www.daya.co.jp/about


 アリサが実践してきたのは、昔ながらの「演劇は国境を超える」というコンセプトの交流ではない。互いの演劇事情を紹介し合う交流ではなく、「演劇」そのものの「種」を撒き合う交流なのである。


 2022年の「平和を求める女性演劇祭」は9月に開催される。ボゴタの旧市街地ラ・カンデラリアにあるセキ・サノ・ホール(Sala Seki Sano)が拠点劇場になる。日本人演出家佐野碩(1905-1966)にちなんで命名された劇場である。なぜこの名前がつけられたかはまた別のおりに書くことにしたい。

                                           (2022年7月28日記)



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